
YouTube
2007年の夏に始めたYouTubeも3年半の間に登録者(subscriber)数も9500人以上になり、まったく予想していなかった展開になっている。正直、始めた頃は、ギタリストとしての活動に限界を感じ始めていた。評価されてなんぼの世界で、まったく評価されずに進むのはとてもしんどいことである。YouTubeについては、それより前からアメリカの友人に勧められたこともあったが、当時は、ビデオを作ったこともなかったのでそれほど乗り気ではなかった。YouTubeに登録したのも、偶然、フランス人女性(chewwinggum)が弾くCome Togetherのビデオを見つけ、とても気に入ったのでコメントしようとしたら「登録しろ」と催促されたからである。peacejoytownという名前は、私が普段使っている名前がことごとくはじかれ、ふと目にした葉書にあった私の住んでいる町「平楽」をそのまま英語読みにして入力したら通ったというだけで、その場しのぎ的なものだった。
コメント投稿後もしばらくはpeacejoytownのチャンネルは空だったが、ある日iMacの上部に付いているiSightを試してみたところ、意外に簡単にビデオが撮れることが分かり、折角なので何か撮ろうということになった。しかし、映像は簡単に撮れてもiMac内蔵のマイクで同時に録れる音はかなり質の低いものだった。そこで思いついたのが、すでにある音源を聴きながら「指パク」映像を撮り、それを音源とミックスするという方法だ。最初の数本はこのやり方で撮っている。ところが、実際に自分が演奏したものであっても、その時の気分でストロークがランダムに入っていたりして、忠実に指使いを再現するのが意外に大変だったので、その後はリアルタイムの一発撮りに変えた。
最初のうちは、アメリカにいる数名の知り合いが見てくれる程度だったが、徐々に広まり、数ヶ月後にはほぼ毎日のように世界各国からコメントが来るようになった。何よりも驚いたのは、そのほとんどが私のアレンジを評価するものだったことだ。それまでは、ほとんど評価されることがなかった部分である。私のビデオを見て再びギターを始めたというメッセージやコメントも多数寄せられるようになった。日本で「団塊の世代」と呼ばれている世代が色んな国に存在することを知った。第二次世界大戦というぐらいだから、どの国も出生面では同じような道をたどったのであろう。
YouTubeを通じた出会いも様々で、2008年のEUツアーも、そんな出会いから実現した。また、今では世界的に有名な韓国のSungha Jung君や、Janis Ianといったスターのライブに招待されるという恩恵もあった。一方で、仲良くやり取りしていた人がある日突然豹変して攻撃してくるというケースも何度かあった。基本的に、内容に関係なく、寄せられたメッセージやコメントにはすべて返事をしているが、私やアジア人を中傷するようなものも中にはある。そのようなメッセージを読んだ後は怒りが込み上げてきたり嫌な気持ちになるものだが、そんな気分のまま返事をすると、さらに悪い方向に進むことが分かり、最近では、一呼吸おいて気分を落ち着かせてから返事をするようになった。YouTubeを通じて最も成長したのは、この部分かもしれない。
最近では、尖閣諸島の衝突事件など、時折その映像がテレビでも流されるようになり、YouTubeを知る人も格段に増えた。登録者数のランキングでは、音楽部門の30位前後にいるという実績を何とかうまく日本の活動に反映できないかと、ない知恵を絞ったりもしたこともあるが、日本からの登録者数は450人程度しかなく、全体の約5%に過ぎない。YouTubeの普及とともに本屋にもYouTube関連の書籍が並ぶようになり、YouTubeを使ったビジネス展開について書いている本も読んだが、日本で商売するのであれば、主に日本語を使うべきと書いてあった。95%の非日本語圏の人を切り捨てるわけにもいかないので、それ以降、その手の本は読まなくなった。
ギター面におけるYouTubeの最大の効果は、アップしたその日のうちに多いときは1000人近くが観るというプレッシャーがあるので、しっかりした演奏を心掛けるようになったという点だろう。手首や指の角度、肘の使い方など、今まであまり気にしなかった部分に気を使うようになった。ライブで動じなくなったのは、回数をこなしたというのもあるが、YouTubeの影響もかなりあると思う。
疲れた時に聴くと心が安まるといった内容のコメントやメッセージも数多く寄せられる。当初はギターという楽器が持つ特性ぐらいにしか思っていなかったが、同じ楽器でも弾く人によって音色がまったく異なり、これは、手首や指の角度などの物理的要因ではなく、弾く人の内面が関係あるのではと思うようになってきた。自分では気付かない何かがプラスαとなって届いているのだ。私は話している相手によくあくびをされる。最初のうちは余りいい気分がしなかったが、最近では、それだけ相手の心が安らいでいると受け止めるようになった。このような部分も音と一緒に届いているのかもしれない。多くの悩みを抱えることは負担だが、それらが音楽の「肥やし」となるのであれば、悩みが尽きない人生も悪くないように思える。
2011年2月11日(金)